長屋とは?
一棟の建物を数戸の家に区切った形式のものを言います。戦国時代にこのような形の住居が見られるようになり、人口が爆発的に増えた江戸時代では、庶民の住宅としてスタンダードになっていました。当時は木造2階建てが多く、大通りにめんした長屋は「表長屋」とよばれ、主に商店が連なっており、その商店の主人家族や地主が住んでいました。裏路地に面した方が「裏長屋」とされ、こちらがその商店の従業員や出稼ぎで来ている住民の住居の長屋として機能していました。居住スペース四畳半ほどに3,4人の家族が住んでいたようです。
当時、土地の所有者は幕府であり、幕府が大名に、大名が地主に土地を貸し、地主が長屋を建てて住民を住まわせていたため、「土地は財産」という感覚はなかったようです。
長屋の作り
長屋は木と紙でできたとっても簡素なものでした。また当時は火事も多く、連なった長屋はあっという間に火が燃え広がりました。簡単に燃えてしまうので、あえて立派にしたり凝ったことはしないというのが当時のスタイルだったようです。消火活動も、水をかけるよりも、燃え広がる先の建物を壊してしまうというやり方だったため、こういう作りが一般的になったのです。
トイレは共同、お風呂は銭湯
長屋には共同トイレ「厠」が設置されていました。厠は地面に穴をあけて、周りを板で囲った簡素なつくりの物で、男女兼用でした。しかも、扉や囲いは換気のためか、板がはめられているのは下半分で、外から顔がのぞけてしまうような構造だったんだとか。落ちついて用も足せませんね・・・(゚д゚|||)
歌川広重の浮世絵を見ると、厠の外で鼻をつまんでいる民衆の姿があります。今のように水洗ではないので、かなり匂っていたでのでしょうね。さらに、よく見ると厠の壁に落書きが!!相合傘のようなものも見えます!トイレに落書きをする人はいつの時代にもいるのですね・・・。
また、お風呂に関しては銭湯を利用していたそうです。銭湯も当時は男女混浴が主流で、何度も混浴禁止令が出されるも、なかなか定着せず、明治時代まで続いていたようです。
炊事場は共用。「井戸端会議」も長屋生まれ
台所などの炊事場は長屋の住民が共用で使えるようになっていたようです。長屋の勝手口の近くには必ず井戸があり、その井戸から組んだ水で炊事や洗濯を行っていました。自然と家事や子供の世話で家にいる女性が井戸に集まり、世間話に花を咲かせていたのが「井戸端会議」の始まりです。井戸は住民たちの情報交換の場であり、社交の場でもあったということですね。
また、現代と違って長屋は薄い木製の板で仕切られた建造物です。隣近所の声は筒抜けですから、家族の事情はあっという間に噂となって長屋中に知れ渡ります。不都合なこともあったとは思いますが、普段から共有スペースでコミュニケーションを取り、困ったときはお互い様精神があった当時は、義理と人情で気軽に助け合うことができたのだと思います。
長屋だからこそ、事件が起きる!長屋が舞台のおすすめ時代小説
今では考えられないかもしれませんが、しょうゆの貸し借りはもちろんの事、長屋では他の家族の子どもの面倒を他人が見たりすることも当たり前でした。色々な人間関係が絡み合う中できっとたくさんのドラマや事件が生まれたことでしょう。
そんな長屋を舞台にした時代小説も数多くあります。これから雨も多くなりますし、時代小説を読みながら長屋暮らしの人々に思いをはせてみるもの面白そうです。元図書館スタッフの寺嶋がおすすめの時代小説をご紹介します(゚∀゚)ぜひ手に取ってみてください。タイトルをクリックすると詳細ページに飛べます。
長屋や商店を回りながら、髪結いの仕事をする伊三次は、実は町方定廻同心(現在の警察官・お巡りさん)の手先として、町で起こる事件の解決も任されていた。恋人のお文に文句を言われながらも、伊三次は江戸の町で事件解決のために奔走する。
全15巻になるシリーズ物で、登場人物が巻を追うごとに成長していくのが、読者の親心をくすぐります。多くの職人が登場し、江戸っこらしい粋な会話にこちらも思わず引き込まれますよ!女優の杏さんも夢中になったシリーズです。今も昔も人の悩みって一緒なんだな・・・と変に共感してしまいます。
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